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TORENDIA

「鐡集」

本文約710字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

シングの詩集にある序文を引照しながら、詩人の願いやその詩風を論じる。表面上の単純さの背後に漂う強烈な切実さ、そして枯れた境地ではなく、若々しい瑞々しさを湛えた独特の逆説的魅力を指摘する。また、作者が本作を最後の詩集と予感していることに触れ、自身の作風に対する分析とともに、本作に込められた好戦的かつ真摯な精神と、詩人としての変容の可能性について綴る。

堀辰雄

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🎧 「鐡集」 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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たしかシングであつたと思ふ。その詩集の序文中で、自分の詩が少數の仲間に讀まれるのみならず、丈夫や盜賊や、坊主どもにも讀まれて欲しいと云ふやうなことを云つてゐた。

この「鐡集」の詩人のねがひも或は其處にあるかも知れない。

この詩集の中で位、僕はこの詩人の不敵な面構へを見たことはない。あまりに眞劍なので、殆ど出鱈目さと面を突き合はせてゐる。あまりに強烈な詩なので、殆ど惡詩に見える位である。

詩人は、これが自分の最後の詩集になるのではないかと序言に云つてゐる。それは一つの頂きをきはめた詩人の思はずも發した歎聲に過ぎぬかも知れぬ。あらゆる頂をきはめた詩人の詩のやうに、この集中の詩はいづれも表面は單純に見える。中には殆ど無意味に近く見えるものすらある。

おれは硝子の箱のなかにゐた。

硝子を透して見た木の葉の色は一層鮮やかだつた。

だが、この詩を見つめてゐるとその一語一語が切なく顫へてゐる。塀の上に出てゐる鋭い枝さきだけを見せつけられてゐる感じだ。

この詩集の最も逆説的な特色は、しかし、さう云ふ頂をきはめた大抵の詩人の詩が普通「枯れ切つて」ゐるのに反して、この集中の詩はいづれも年少の詩人が書いたやうに、妙にみづみづしいことである。例へば「僕の遠近法」や「宮殿」中の諸篇について見るがよい。

山に煤がないといふのは嘘だ。

「鐡集」の詩人は齒をくひしばつて目のあたりに煤だらけの山を睨んでゐる。

しかし、かう云ふ好戰的な詩はこの詩人にとつて或はこの集をもつて最後のものとなるかも知れぬ。

僕はこの詩人が若し數年後にふたたび詩集を出すやうなことがあつたら、それは遠くにかがよふ雪の山のやうに沈痛な感じのするものになるのではないかと思つてゐる。

完

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