木の十字架
本文約6,600字 ・ 読了時間 約14分
あらすじ(AIが作成しました)
信州軽井沢の聖パウロ・カトリック教会の静かな佇まいや、そこで管理人の話に耳を傾ける日々を綴る。筆者は結婚祝いとして詩人の立原道造から贈られた聖歌や歌曲のレコードに想いを馳せ、火事で家を失った過去や亡き友人との記憶を重ね合わせる。教会でのミサを通じて亡き詩人に思いを巡らせ、不在の寂しさを抱えながら森の家へと向かうまでを描く、内省的な随筆。
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「こちらで冬を過すのは、この土地のものではない私共には、なかなか難儀ですが、この御堂が本当に好きですので、こうして雪の深いなかに一人でそのお守りをしているのもなかなか愉しい気もちがいたします。……」
この雪に埋まった高原にある小さな教会の管理をしている、童顔の、律儀そうなHさんはそんな事を私に言ったが、こういうごく普通の信者に過ぎないような人にとっても、こちらで他所者として冬を過しているうちには、やはりそういうロマネスクな気もちにもなると見える。
その教会というのは、――信州軽井沢にある、聖パウロ・カトリック教会。いまから五年前(一九三五年)に、チェッコスロヴァキアの建築家アントニン・レイモンド氏が設計して建立したもの。簡素な木造の、何処か瑞西の寒村にでもありそうな、朴訥な美しさに富んだ、何ともいえず好い感じのする建物である。カトリック建築の様式というものを私はよく知らないけれども、その特色らしく、屋根などの線という線がそれぞれに鋭い角をなして天を目ざしている。それらが一つになっていかにもすっきりとした印象を建物全体に与えているのでもあろうか。――町の裏側の、水車のある道に沿うて、その聖パウロ教会は立っている。小さな落葉松林を背負いながら、夕日なんぞに赫いている木の十字架が、町の方からその水車の道へはいりかけると、すぐ、五六軒の、ごみごみした、薄汚ない民家の間から見えてくるのも、いかにも村の教会らしく、その感じもいいのである。