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TORENDIA

西鶴小論

本文約11,600字 ・ 読了時間 約24分

あらすじ(AIが作成しました)

西鶴小論は、江戸時代の俳人であり浮世草紙の作者である西鶴の文学と人生を論じる。利己や打算といった世俗の空気に浸りながらも、それに捉われず、世間の悲喜劇を冷徹かつ鋭い洞察で見つめ続けた精神性を描く。また、当時の通俗的な見方を超え、深い人間観と自らの体感に根差した独自の芸術世界を築いたと評する。特に晩年の遺稿である『置土産』に示される枯淡の境地を高く評価し、日本文学におけるその独創的な意義を綴る。

田山録弥

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一

西鶴は大阪人ではあるけれども、それ以上に深い処を持つてゐると私は思ふ。西鶴が利己、打算、軽い遊び、さういふものゝ空気の中に一度は浸つた人であることは首肯かれる。又一方幇間らしい軽佻な気分の中にはしやぎ切つた人だとも思はれる。しかしそこに満足してゐることの出来る人ではなかつたことだけは確かである。渠は世間一般の混雑した事実の上に一歩高く身を置いて、或は嗟き、或は悲しみ、或は笑つた。

この地歩は渠は何処から得たであらうか、談林の俳句の洒脱豪放なところから得たであらうか。又は当時の元禄の時様に対してのかれの心の動揺から来たのであらうか。又はかれ自身が体感し経験したさまざまの悲喜劇から来たであらうか。すべてさういふ処から養はれたとは言ひ得るが、それ以上に渠の聡明が、渠の利害に浸りながらそれに捉はれない性情が、生の中に滅を有し、滅の中に生を有し、捨の中に有を存し、有の中に捨をした心境が、渠をして長い日本文学の中に、かれ独特の創造と姿と心とを刻むことが出来た。

かれは大阪人らしい態度を持つて、深く生活に浸つてゐる。その態度は一面賢い商人の態度であつて、そしてまた所謂通人の態度である。しかし渠は決して商人の利己に捉えられてはゐない。通人の小さな円融観にも捉えられてゐない。かれは近松に比すれば非常に野暮である。非常に狭量である。大阪人であるから、賢くもあり、又利害の念に明るいけれども、又一面大阪人の持つた暗い城郭的の狭い自己を持つてゐて、ぱつと花の開いたやうな処がなかつた。

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