洋灯はくらいか明るいか
本文約3,000字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
新橋駅に降り立った「私」は、上京の興奮も束の間、友人らに連れられ、電車や映画館、十二階の塔といった当時の文明が混在する東京の街を巡る。雑踏や浅草の光景、街頭で自作の唄を売る者たちの姿に触れ、都会特有の混沌とした気配を肌で感じていく。夜、友人から厳しい言葉を投げかけられつつも、その過酷な現実に馴染み始めた自身の心境と、東京での初日を過ごした公園の情景を描く。
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新橋駅に降りた私はちいさな風呂敷包と、一本のさくらの洋杖を持つたきりであつた。風呂敷包のなかには書きためた詩と、あたらしい原稿紙の幾帖かがあるきり、外に荷物なぞはなく、ぶらりと歩廊に出たときに眼にはいつたものは、煤と埃でよごれた煉瓦の色だつた。そのため構内はうすぐらく、東京に着いた明るい感じなぞはしなかつた。そのころ東海道は新橋が行きとまりになり、新橋が東京の大玄関だつた。美術学校の二年生である田辺孝次と幸崎伊次郎、それに吉田三郎が迎えに出ていた。田辺孝次はすこし帽子を前伏せにかむり、犀星とうとう出て来たなと云つた。幸崎伊次郎は鷹揚に笑つて犀星は大いにやりに来たんだね、なにか外の者にたいして弁護するような語調だつた。美少年の吉田三郎は新しい薩摩絣の単衣に袴をはいて、犀星はまた荒し廻つて歩くだろうと云つた。そして美という徽章のついた学帽をかむつた彼等が私よりどこか大人めいていることと、その大人めいているものに対抗できない泥くささを私は自分に感じた。彼等はあかるい電車に私を乗せてくれ、電車というものにはじめて乗つた私は、派手な女の人の服装をはじめて見て、まばゆい感じであつた。田辺孝次は大きな声で犀星此処は銀座だと、せまい大通りの人ばかり沢山歩いている歩道を教えた。その声が大きいので今ついたばかりの東京という都会にたいして、また乗客の手前、私は顔をあからめた。彼はここが須田町、ここが上野というふうに云い、私は分つている分つていると低い声でこたえた。私が低い声をすれば田辺孝次も低い声になるかと思うと、彼は反対に大声になり私はひやひやした。