TRENDIA CLASSIC

ある幸福

トオマス・マン Thomas Mann

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静かに! ある魂の中をのぞいて見ようと思うのだ。まあいわば大至急で、通りすがりに、ほんの五六ペエジの長さだけだが。なにしろわれわれはおそろしく多忙なのだからね。フロレンスから、古い時代から、われわれはやって来たのだ。あっちでは、最後の厄介な事件が持ちあがっている。それが片づいたら――さあどこへ行くかなあ。宮廷へでも、どこかの王城へでも行くか――誰が知ろう。ふしぎな、微光を帯びた事柄が、まさにまとまりかかっている。――アンナ、かわいそうな小さな男爵夫人アンナ、われわれはお前のためにゆっくりしている暇がないのだ。―― ――

三拍子と杯の音――喧騒、濛煙、うなり、そして舞踏の足どり……みんなはわれわれを識っている。われわれの小さな弱味を識っている。人生がその素朴な祝典を催す場所に、われわれがひそかにかくも喜んで低徊するのは、苦痛というものが、そこで最も深刻な最もやるせない眼色をするからなのであろうか。

「候補生。」と騎兵大尉ハリイ男爵は、舞踏の足をとめて、広間いっぱいに声をひびかせた。まだ右の腕で相手の婦人を抱いたなり、左の手を腰にあてて突っ張っている。「そりゃワルツじゃなくって葬式の鐘だぜ、おい。君はどうもまるっきり拍子の感じがないんだね。ただ始終そうやって泳いだり、ふらふら浮いたりしているだけじゃないか。フォン・ゲルプザッテル少尉にまた弾いてもらおう。そうすれば、まあリズムだけは出てこようからな。引っ込みたまえ、候補生。踊りたまえ、もしピアノよりうまいんなら。」

そこで士官候補生は立ちあがって、拍車をかたんと合わせて、無言のままフォン・ゲルプザッテル少尉に演奏壇を譲った。少尉はすぐに大きな、白い、指のひどくひらいた手で、かちかちぶうぶう鳴る、そのピアノを弾きはじめた。

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