凡人伝
本文約97,800字 ・ 読了時間 約196分
あらすじ(AIが作成しました)
ミッション・スクール出身の主人公は、家庭教師を務める同級生の成金をはじめとするかつての学友たちと交流しながら、自らの生活を反省する教育の精神を胸に、十人の子供を育てるための日々の労働に明け暮れる。本作は、ジョンソン博士の教えを受けた母校での回想や個性的な旧友たちの姿を交えつつ、分相応な生を全うすることこそが凡人にとっての立派な生き方であると、自らの体験を通じて穏やかに綴る。
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はしがき
帝大を卒業したものは好い学校を卒業したと思っているに相違ない。官僚国日本にあっては、帝大卒業ほど好都合の条件はない。早稲田を出たもの、慶応を出たもの、それ/″\母校に満足している。詰まらない学校を出たから一生損をすると言って歎く人も時稀あるようだが、本心は果して何うだろう? 学校には元来相当の考慮をして入る。西瓜を買ったが、割って見たら赤くなかったというのとは場合が違う。
私は帝大出でも早稲田出でも慶応出でもなくて、ミッション・スクール出だ。而も二つ卒業している。青山学院と明治学院だ。そうしてこの二つのミッション・スクールで学んだことを一生の幸福と思っている。宗教学校の同窓必ずしも敬虔な信者でない。中には随分暴れものもいた。もう六十を越したその一人が級友会の席上、一杯機嫌で、
『おい。おれは学院へ入って本当に宜かったと思っているよ。若し他の学校へ行っていたら、もっと悪い人間になっていたに相違ない』
とツク/″\言ったことがある。私はこゝにミッション・スクールの教育が生きていると思った。私達は聖人君子になる努力はしなかったが、少くとも常に自分の生活を反省する教育を受けたのである。
『凡人伝』の背景は青山学院からも取り、明治学院からも取った。ジョンソン博士の『神様の道教えるの学校、基督教紳士組み立ての学校』は益必要である。時勢が大回転をした昨今、戸迷いをしているものが多いのに、私達ミッション・スクール出身者は本来の環境へ戻って来たような気がする。全然民主主義の教育を受けているから、世の中が好い方へ変る以上はこれが当然だと思う。十数年前に書いた『凡人伝』を再刊するに当って、私は特に感慨が深い。
佐々木 邦 [#改丁]
イントロダクション
私達の母校明治学園は字音、
「飯が食えん」
に通じる。
「明治学園、飯が食えん」
と皆言っていた。これは卒業しても職業に有りつけないという意味だった。明治学園はこの頃の学校と違って、サラリーマンの養成を目的としなかった。総理ジョンソン博士は、