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十二月が二日で終わった年 ― 明治の改暦をたどる

本文約12,500字 ・ 読了時間 約25分

白石 凪

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はじめに

カレンダーを思い浮かべてください。一年は十二か月で、一月が終われば二月が来ます。これは、いまの私たちにとって、あまりに当たり前のことです。

ところが、いまから150年ほど前の日本には、十二月が二日で終わってしまった年がありました。明治5年、西暦1872年のことです。

この年の旧暦の十二月は、一日と二日の、わずか二日間でした。その次の日は、十二月三日ではありません。新しい暦の、明治6年1月1日になったのです。

なぜ、そんなことが起きたのでしょうか。誰が、どのように決めたのでしょうか。そのとき人びとは、どう受け止めたのでしょうか。

この本では、国立公文書館、国立国会図書館、国立天文台などが公開している資料をもとに、明治の改暦をたどります。

暦の話は、難しそうに聞こえるかもしれません。けれども、中心にあるのは、とても素朴な問いです。日付とは何か。時刻とは何か。それは誰が決めるのか。

耳で聴きながら、ゆっくりお付き合いください。分からないことは、分からないと書きます。私自身の考えを述べるときは、事実とはっきり分けて書きます。

第一章 十二月が二日で終わった日 ― 布告の内容

明治5年11月9日

話は、明治5年11月9日に始まります。西暦1872年です。ただし、この11月9日は、当時使われていた旧暦の日付です。

この日、新しい暦を使うことを知らせる詔書が出されました。詔書とは、天皇の意思を示す文書のことです。

あわせて、布告第337号が出されました。出したのは、だじょうかんと呼ばれた、当時の政府の役所です。布告とは、政府が国民に知らせる決まりのことです。

この資料は、国立公文書館に残っています。公文書館の解説によると、そこには大切な決まりが、いくつも書かれていました。

布告が定めた四つのこと

一つ目は、これまでの暦をやめて、太陽暦を使うことです。

二つ目は、一年の長さと月の分け方です。一年は365日で、十二の月に分けます。そして、4年ごとに、うるう年を置きます。

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