💰 この本を応援する(投げ銭)
第一章 6秒に1回、救急車が走る
救急車は、昭和49年には、およそ22秒に1回、出動していました。
平成20年には、1年間の出動が、500万回を超えています。
筆者の計算では、およそ6秒に1回です。
サイレンを鳴らして走るあの救急車は、百十九番に電話をすると、来てくれます。
そして、それは、消防の車です。
では、救急は、いつから、消防の仕事になったのでしょうか。
その答えをたどると、昭和38年の法律に行き着きます。
さらに、その30年前。昭和8年に、横浜の消防署に置かれた一台の車から、この話は始まります。
30年という数字は、筆者の計算です。
最初に、使った資料をお伝えします。
横浜市の沿革のページと、消防防災博物館のページ、そして、消防庁の消防白書です。
白書は、平成20年版と、平成21年版と、令和3年版を使いました。
数字には年をそえ、資料のあいだで食いちがう数字は、使いません。
この本は、救急の歴史の本です。
けがや病気のときの、手当ての仕方を教える本ではありません。
そうした大事なことは、お住まいの地域の消防や、医療の専門の方の案内で、ご確認ください。
では、昭和8年の横浜へ、行ってみましょう。
第二章 昭和8年、横浜の消防署に一台
横浜市は、公式のページに、市の消防の歩みを年表にしてまとめています。
そのなかに、こういう記述があります。
1933年、昭和8年の2月。
山下消防署に、救急車が置かれ、救急の事務が始まった、と。
横浜市の沿革では、そう書かれています。
横浜市は、この救急車を、我が国初と紹介しています。
ここでは、日本で最初とされる、と受け止めておきます。
月についても、お断りしておきます。
この本は、横浜市の沿革に従って、昭和8年の2月と言っています。
ほかの資料では、月の書き方がちがう場合があります。
ですから、横浜市の沿革では、と、限定してお話しします。
横浜市の沿革には、山下消防署の場所の細かい様子までは、書かれていません。
どんな車で、何人が乗り、どんな人を運んだのか。
そうしたことも、使った資料には、書かれていません。
わかっているのは、昭和8年の2月に、消防署に救急車が置かれた、ということです。