私の父と母
本文約3,300字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
薩摩出身で儒学を根底に持ち、厳格かつ熱情的な性格の父と、北方の血を引きながらも苦難を経て鋭い洞察と豊かな想像力を抱く母。本作は、著者が自らの血筋である南北の気質や、幼少期の家庭環境を回想し、両親の性格がいかに自身の資質と兄弟の個性に影響を及ぼしたかを綴る。教育方針や日常の振る舞いを通じて、家系の根底に流れる情熱と理性の相克、そして個人の精神的形成の過程を深く考察する自伝的な随筆である。
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私の家は代々薩摩の国に住んでいたので、父は他の血を混えない純粋の薩摩人と言ってよい。私の眼から見ると、父の性格は非常に真正直な、また細心なある意味の執拗な性質をもっていた。そして外面的にはずいぶん冷淡に見える場合がないではなかったが、内部には恐ろしい熱情をもった男であった。この点は純粋の九州人に独得な所である。一時にある事に自分の注意を集中した場合に、ほとんど寝食を忘れてしまう。国事にでもあるいは自分の仕事にでも熱中すると、人と話をしていながら、相手の言うことが聞き取れないほど他を顧みないので、狂人のような状態に陥ったことは、私の知っているだけでも、少なくとも三度はあった。
父の教育からいえば、父の若い時代としては新しい教育を受けた方だが、その根柢をなしているものはやはり朱子学派の儒学であって、その影響からは終生脱することができなかった。しかしどこか独自なところがあって、平生の話の中にも、その着想の独創的なのに、我々は手を拍って驚くことがよくあった。晩年にはよく父は「自分が哲学を、自分の進むべき路として選んでおったなら、きっと纏まった仕事をしていたろう」と言っていた。健康は小さい時分にはたいへん弱い子で、これで育つだろうかと心配されたそうだが、私が知ってからは強壮で、身体こそ小さかったが、精力の強い、仕事の能く続けてできる体格であった。仕事に表わす精力は、我々子供たちを驚かすことがしばしばあったくらいである。芸術に対しては特に没頭したものがなかったので、鑑識力も発達してはいなかったが、見当違いの批評などをする時でも、父その人でなければ言われないような表現や言葉使いをした。父は私たちが芸術に携わることは極端に嫌って、ことに軽文学は極端に排斥した。私たちは父の目を掠めてそれを味わわなければならなかったのを記憶する。