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TORENDIA

青磁のモンタージュ

本文約900字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

青磁の持つ憂愁の響きや、陶器が持つエロチシズム的側面について綴る。作者は、青磁の冷ややかな美しさが神経質な気質と相通ずることを指摘し、赤楽や生花との組み合わせが生む調和をモンタージュと呼ぶ。個々の器が持つ本来の美しさを最大限に引き出すためには、単なる分類的な陳列を超え、器の用途や組み合わせという文脈の中でその調和を把握することが必要であると論じる。

寺田寅彦

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🎧 青磁のモンタージュ / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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「黒色のほがらかさ」ともいうものの象徴が黒楽の陶器だとすると、「緑色の憂愁」のシンボルはさしむき青磁であろう。前者の豪健闊達に対して後者にはどこか女性的なセンチメンタリズムのにおいがある。それでたぶん、年じゅう胃が悪くて時々神経衰弱に見舞われる自分のような人間には楽焼きの明るさも恋しいがまた同時に青磁にも自然の同情があるのかもしれない。

故夏目漱石先生も青磁の好きな人間の仲間であったが、先生も胃が悪くて神経衰弱であったのである。先生は青磁の鉢に羊羹を盛った色彩の感じを賞したことがあったように記憶する。

青磁の皿にまっかなまぐろのさしみとまっ白なおろし大根を盛ったモンタージュはちょっと美しいものの一つである。いきのよいさしみの光沢はどこか陶器の光沢と相通ずるものがある。逆に言えば陶器の肌の感触には生きた肉の感じに似たものがある。ある意味において陶器の翫賞はエロチシズムの一変形であるのかもしれない。

青磁の徳利にすすきと桔梗でも生けると実にさびしい秋の感覚がにじんだ。あまりにさびしすぎて困るかもしれない。

青磁の香炉に赤楽の香合のモンタージュもちょっと美しいものだと思う。秋の空を背景とした柿もみじを見るような感じがする。

博物館などのように青磁は青磁、楽は楽と分類的に陳列してあるのも結構ではあるが、しかしそういう器物の効果を充分に発揮させるようなモンタージュを見せてくれる展覧会などもたまにはあっていいかもしれない。もっとも茶会の記事などを見ると実際自分の考えているようなモンタージュ展を実行しているのであるが、それは限られた少数の人だけのためのものでだれでもいつでも見られる種類のものではない。

西川一草亭の生花の展覧会などはある意味で花やくだものと容器とのモンタージュの展覧会であるが、あれをもっと拡張したような展観方法があってもいいと思う。

器物の美にはもちろんそれ自身に内在する美があるには相違ないが、それを充分に発揮させるためにはその器物の用と相関連したモンタージュの把握が必要ではないかと考えるのである。

赤楽の茶わんもトマトスープでも入れられては困るであろう。

(昭和六年十二月、雑味)

完

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