いまわれわれのしなければならないこと
本文約640字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
戦後の荒廃した東京の光景から始まり、再び戦争の影が忍び寄る社会情勢を見つめる。世界平和への切実な願いを込めて、原爆の惨禍を経験した日本国民が、いかにして戦争という暴力に反対し、平和を勝ち取るための意志を示すべきかを論じる。生きることそのものである平和を守るために、全人民が世界の正義と良心に向けて何を叫ぶべきか、その責務と平和投票への参加の重要性を説く一九五〇年の論考である。
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かなりの復興したとはいっても、東京の街々はまだ焼あとだらけである。大きい邸跡の廃墟に石の門ばかりのこって、半ばくずれたコンクリート塀の中に夏草がしげっている。小さい道をへだてて、バラックのトタン屋根が暑い日をてりかえし、スダレの奥から大きな声でラジオのニュースが響いている。
「――して華々しい戦果をおさめました」
東京に、またこんなラジオがきこえはじめた。
広島を平和都市に!
長崎を国際都市に!
ノーモア・ヒロシマズ!
ついこの間までラジオは、やさしい抑揚をつけてそう語った。被原爆地に、眼病のなかでも不治とされる「そこひ」が発生していると報ぜられている。
日本の一部の人々は、あんまり度々いや応なしに戦争にかりたてられてきたために、神経衰弱のようになっていて、しんから戦争をさけたいと思っているときでも、ちょっとした挑発や暗示にまけやすくなっている。
わたしたちは平和を求め、そのために努力している世界の意志、自分の意志に、もっともっと明確な信頼を示すべきである。あらゆる国の人民にとって「平和」はジェスチュアではない。生きることそのことである。原爆を第一に経験した日本の住民が、世界の平和投票に率先しないなら、それは、われわれが生きる権利をすててしまっているも同然である。
原爆使用は禁止されなければならない。このことを世界の正義と良心に向って、しんから叫ぶことのできるのは、そのために肉親を犠牲にした日本の全人民である。平和は戦争に反対することによってのみたたかいとられる。〔一九五〇年七月〕
完