きもの
本文約2,000字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
着物をまとい清少納言の言葉に思いを馳せる日常の風景から、皮膚の延長である衣服の本質を考察する。日本の着物は風土と家屋の中で育まれ、反物を裁つ合理的な構造や老若男女に対応する利便性を備えている。しかし激動の時代において、家庭服としての良さと現代の生活様式との間には乖離も生じる。衣服の歴史や機能的な構造、そして着物という言葉が持つ広さや力強さについて、著者自身の経験と思索を交えて綴る随筆である。
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着ものをきかへようと、たたんであるのをひろげて、肩へかけながら、ふと、いつものことだが古への清少納言のいつたことを、身に感じて袖に手を通した。
それは、雨の降るそぼ寒い日に、しまつてあつた着るものを出してひつかけると、薄い汗の香が鼻をかすめると、その、あるかなきかの、自分の汗の匂ひの漂よひと、過ぎさる夏をなつかしむおもひを、わづかの筆に言い尽してあるのを、いみじき言ひかただと、いつでも夏の末になると思ひ出さないことはない。何か、生といふ強いものを、ほのかななかにはつきりと知り、嗅ぐのだつた。
きものにもさま/″\あるが、煎じつめれば、きものは皮膚の延長だとわたくしは思つてゐる。
裸身では居られないので、天然の美を被ふのに、その顔によく似合つた色の布を選らむのは当然なことで、すこしでも美しいのをといふ心持ちが、色彩に敏くなり、模やうや、かたちまでが種々に変化し、売手のつくる流行に支配されると、自分の皮膚とは、似てもにつかないものをつけることになつて、化粧を濃くしてごまかし、自分の本来のものを殺してまで衣服の柄の方に顔を合せようとする不自然さになつたりする。
そんなことを思つてゐるところへお客があつた。きものの話をきいて書くのだといはれる。
いろんな変転を経て来て、日本の着ものは、この風土と、この家屋とのなかに育つて、平和な時の家庭服としては、ゆくところまでいつた良さがあるといふやうな話をして、
「一人の人が考へたのではなく、長い月日の間に、みんなが、自分たちに具合よくしていつたのだから――」
と、言ひながら、
「日本の着物を裁つといふのは、反物を四ツ四ツと折つて、それを二ツに断りはなし、あとを竪に二ツにすれば出来る、老若男女、いづれもおなじ、こんなにはつきりしたものはない。」
と、昔の人の頭のよさを、また思ひ直した。
反物は、近頃こそ袖が長くなつたので、三丈とか、三丈三寸とか五寸もあるのがあるが、明治時代は二丈八尺がお定まり、木綿ものは七尺のもあつた。これは時代を遡つて、特別の織のほかは、寸尺の短いものであつたことを思はせる。