恩人
本文約13,100字 ・ 読了時間 約27分
あらすじ(AIが作成しました)
初春を過ぎたある日、かつて自分と妻の恋をとりもつなど恩人でもある叔父から、突然の訪問を告げる手紙が届く。肺を病み、一人静かに暮らす叔父の来訪に、主人公は不可解さと悲壮な気配を感じ取る。京都での生活や尼僧の心境を語る叔父を迎え、妻と共に歓待するが、そこには過ぎ去った時間への思いや、隠された過去が漂う。滞在を経て叔父が去った後、主人公は去りゆく列車の背に、静かな哀愁と変わらぬ生活の重みを感じる。
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年毎に彼の身体に悪影響を伝える初春の季節が過ぎ去った後、彼はまた静かなる書斎の生活をはじめた、去ってゆく時の足跡をじっと見守っているような心地をし乍ら。木蓮の花が散って、燕が飛び廻るのを見守っては、只悠久なるものの影をのみ追った。然しその影の淡々しいのを彼の心が見た。
前日からの風が夜のうちに止んで、朗らかな朝日の影が次第に移っていった。その時女中が一封の信書を彼の書斎に届けた。裏を返すと彼の心は一瞬の間緊縮された。手紙は京都の若い叔父からであった。彼は暫く眼を空間に定めて、それから封を切ってみた。断片的な簡短なる文句が続いている。
一度御地の旧物を訪わんと存候えど、閑暇――閑暇はあり乍ら心臆して未だその期を得ざるままに日を暮し候。その後出京の念漸く成りて本夕出発、明日は多分御面接を得ることと存候。御新棲の有様も伺いたくと存候えば……。
それから又こんな文句もあった。
但し此度は微行に候、微行とは誇言なれど、此度の出京は君等の外誰も知る者なしとの意に候。然しそは特別の用件あるが故には候わず。ただ一泊の訪問なるを予め御報申さんが為に候……。
其処を彼はくり返して読んでみた。そして手紙はこう結んであった。
突然のことにて御喫驚も有之らんかなれどそれも面白かる可しと存候。此の手紙は今日午前投函する筈なれば、小生の到着前に御手に届くことと存候。自身は今夕夜行にて出発する筈に候。但し本日の夕陽に明日の快晴を思わするものあらばとの条件を附加し候、さらば。
彼の心に不可解なものが醸された。それで幾度もくり返し読んでは、叔父の本意を探らんとした。然し彼の眼に留ったものは以上の文句に過ぎなかった。彼はまた丁寧に手紙を巻き納めて、それから卓を離れてソファアの上に身を投げた。