訳者より著者へ
本文約2,400字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
ルナールの文学作品の翻訳を手がけた著者が、劇作家として親しんできた同氏の小説や随筆を論じる。自身の内面を冷静に見つめ、人間を慈しみつつも冷徹に観察する姿勢を、暗示と想念を重視する芸術観として分析する。また、翻訳を通じてその詩的で人間味溢れる世界観に触れ、人生の悲しみと微笑を併せ持つ独特の作風がいかに古典的自然主義の伝統に連なるかを綴り、翻訳書への思いと彼への敬意を込めた書簡形式の評論である。
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何しろ、僕は今まで、劇作家としてのあなたにより多くの親しみをもち、小説家乃至随筆家としてのあなたを殆んど識らなかつた。勿論、あなたの出世作「Poil de Carotte」は、脚本と併せて小説の方も読んだが、それは例の色んな本を渉猟すると云ふ楽しみ、名著を翻くと云ふこと、そのことが既に心を酔はせる、さう云ふ時代の、不真面目とは思はないが可なり無批判な、要するに興に乗じて読む、まあさう云ふ読み方をしたに過ぎない。これに反して、あなたの脚本は、少くとも「Comdies」に収められてある四篇は、僕に取つて、ミュッセの戯曲と共に、束の間も座右を離さない、云はゞ宝典とも称すべきものだ。きまぐれな紳士淑女の一愛読書の程度を遥かに越えてゐることは云ふまでもない。
さう云ふわけで、今度、友人鈴木君から同君らの計画になる「仏蘭西文学の叢書」の刊行に当つて、僕にも小説を一二冊訳して見ないかと云ふ勧めがあつた時、実は、潜上の沙汰と知りつゝ、ルナアルのものならばと云つて、それも始めて読む「葡萄畑の葡萄作り」を、アナトオル・フランスの、これも僕の選択で「鳥料理レエヌ・ベドオク」と共に引き受けてしまつたのだ。
あなたの小説のうちで、一篇だけ代表的なものを選び出すことは六ヶ敷いやうに思ふ。然し、あなたの面目が最も躍如たるばかりでなく、僕自身が一番惹きつけられ、その上、比較的――誠に卑怯な話だが――訳し易いと思つたのは、此の「葡萄作り」だつた。尤も此の最後の予想は、翻訳の半ばから見事に覆された。
戯曲以外のあなたの作品を読みながら感じたことは、あなたの戯曲を読み、それを舞台の上で見た、その時に感じ、それ以来、感じ続けてゐる感じを、一層濃厚に、一層広く、一層鮮明に、一層深くしたものと云ふ一言に尽きる。