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TORENDIA

芸能民習

本文約5,300字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

著者自身の学問的探究を振り返りつつ、日本における芸能の変遷や習俗を考察する一冊。江戸歌舞伎において「曾我狂言」がなぜ執拗に繰り返され、重用されたのかという問いに対し、その背景にある「五月御霊」としての曾我兄弟への信仰や、怨霊に対する農村社会の畏怖、さらには芸能団の興行形態といった民俗学的な観点からその深層を解き明かす。歌舞伎という芸能がいかにして特定の習俗と結びつき、独自の様式を形成していったのかを論じる。

折口信夫

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🎧 芸能民習 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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あまり世の中が変り過ぎて、ため息一つついたことのなかつた我々も、時々ほうとすることがある。鳥が粟を拾ふやうにと言ふが、ほんたうに零細な知識を積んで来た私どもの学問も、どうかかうか、若い人たちが継承して行つてくれるに任せるほかはない。そんな妙な方法で、学問と言へるのか、変な学問もあつたものだと言はれ/\して来た私たちの研究も、おのづから中絶する日が、そこに見えて来た。

人の用意してをつた知識を素直に受け入れないことが、学問の発足と言ふのが、本たうだとすれば、私ども位、先人の学説から自由をふるまうて来た者も尠からうと思ふ。

と言つて、其を自慢する訣でもない。たゞ今まで口にしたことのない胸臆を書きつけて見れば、どんな気持ちがするだらうと言ふ気で書きはじめたまでのことである。

かう言ふ書き出しをつくつて見たが、さて何も変つたことが出て来さうにもない。此後、国文学などを研究して行く若い人々のうちに、かう言ふことを考へる人もあらうかと思つて、言はゞ身後の笑ひを予期しながら、其をまた一つの力に感じながら書いて置かうと思ふことの緒口をつけてゐる訣である。あのごつた返した昭和の末に、こんなことを書いて、隠者ぶつて居た男があつたのだ、と言はれようと言ふ志願を持つてゐると、まあ言へば、さう言ふ風にも言へる。

私などは、生れだちから歌舞妓役者や芸能人を極度に軽蔑するやうに為向けられ、教へられて育つて来た。だからそんな小屋の立ち並んでゐる盛り場に入りこんでゐて、知つた人にでも逢はうものなら、忽赤い顔をして、人ごみへ隠れてしまふ。其でゐて、さう言ふ人だかりの中へ、まるで韜晦するものゝ如く這入りこむことが、嬉しいのではないが、もう一生の癖になつてしまつた。だから、私の学問も、一端に、芝居町や稽古屋の生活に繋つてゐるやうなものである。

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