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TORENDIA

解脱非解脱

本文約4,200字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

真剣や真面目の度数、世間との関わり、そして表現の本質について論じる。外国の模倣や世間への迎合を排し、個人の内面を確立することの重要性を説く。芸術における作者と読者の乖離や、流行を追う風潮への批判を交えながら、外面的な技巧や評価に捉われることなく、人間の根本にある自己のあり方を追求すべきだと主張する。また、春の循環に無自覚な人間模様を例に挙げ、刹那的な現象に流されず、内的な独立と真の誠実さを求める姿勢を提示する。

田山録弥

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🎧 解脱非解脱 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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解脱の度数

解脱にも非常に度数があると共に、真剣とか、一心とか言ふことにも矢張度数がある。更にそれを幾種類に別つことが出来る。従つて口で言ふことはわけはないが、そのあらはれた形を見ると、千差万別である。容易に言説することの出来ないのは其処にあると思ふ。

仮面

真剣と真面目とを正面から振り翳したとて、それが技巧や、身ぶりや、表情や、世間に対する仮面に立つて了つては駄目である。

真剣の程度

真剣や真面目は、その背景に持つたものゝ如何に由つて、その価値がきまる。

それは、いかに他から見ても可笑いことであり、噴き出さずにゐられないやうなことであつても、それに引摺られて行くやうなものでなくてはならない。他の笑殺や嘲殺を圧倒して了ふやうなものでなければならない。いかに真剣でも、識者から笑はれたりする程度の真剣は、その燃焼の度数が足りないからであらうと思ふ。

真面目と笑ひ

真面目を守本尊にして、驀地に進む形はまだ対世間である。決して絶対ではない。真面目は笑や、戯談や、滑稽や、さういふものゝ中からも捜し出して来られるやうでなければいけない。

自己と世間

対世間の作や、批評や、言説の多いのは、いつの時代にもめづらしいことではないが、此頃は殊にそれが多い。作に当気のないものは尠い。衒気のないものは尠い。批評にもはつきり物を言つて見せたやうなものが少い。皆な何処かで妥協したり、好い加減にしたりしてゐる。でなければ外国の思想を借用して、世間に対してゐる。それほど世間に迎合しなければならないものであるか。否、そればかりではない。今の青年で、世間より以外に自がある筈がないと言つてゐるものさへある。世間即ち自己であればそれで足りるやうな青年が多い。それでゐてこれ等の青年は妥協主義と言はれてゐることを耻ぢてゐる。

対世間の作者

同じやうな型にはまつた作、流行を趁つたやうな作、チヤンと構図と構成のきまつたやうな作、さうした作の多いのは、つまり対世間の作者が多いからである。誰に読んで貰はなくとも、世間に見て貰はなくつても、自分の持つたものを出す、唯出すと言つたやうな作がないのも矢張そのためである。余り好い空気ではないと思ふ。

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