京の四季
本文約7,900字 ・ 読了時間 約16分
あらすじ(AIが作成しました)
京都で十年暮らした後、東京へ転居した筆者が、両都市における樹木や風土の相違を綴る。東京の緑や樹ぶりが京都に比べ陰欝で劣ると感じていたが、次第にその特質を認め始める。一方で、京都の湿潤な気候がもたらす杉苔の美しさや、東山の樹木が四季折々に見せる色彩豊かな景観、雪の日の静謐な情景を回想する。植物の成長や景観の形成に作用する風土的な条件について考察を深め、京都の自然環境が醸し出す格別な風情と季節の移ろいの美しさを論じる。
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京都に足かけ十年住んだのち、また東京へ引っ越して来たのは、六月の末、樹の葉が盛んに茂っている時であったが、その東京の樹の葉の緑が実にきたなく感じられて、やり切れない気持ちがした。本郷の大学前の通りなどは、たとい片側だけであるにもしろ、大学の垣根内に大きい高い楠の樹が立ち並んでいて、なかなか立派な光景だといってよいのであるが、しかしそれさえも、緑の色調が陰欝で、あまりいい感じがしなかった。大学の池のまわりを歩きながら、自分の目が年のせいで何か生理的な変化を受けたのではないかと、まじめに心配したほどであった。
京都から時々上京して来たときにも、この緑の色調の相違を感じなかったわけではない。しかし三日とか五日とかの短い期間だと、それはあまり気にならず、いわんや苦痛とまではならなかった。それが、引っ越して来て居ついたとなると、毎日少しずつ積もって行って、だんだん強くなったものと見える。いわゆる acceleration の現象はこういうところにもあるのである。とうとうそれはやりきれないような気持ちにまで昂じて行った。自分ながら案外なことであった。京都に移り住む前には二十年ぐらいも東京で暮らしていたのであるが、かつてそういう気持ちになったことはない。
気になり始めると、いやなのは緑の色調ばかりではなかった。秋になって、樹々の葉が色づいてくる。その黄色や褐色や紅色が、いかにも冴えない、いやな色で、義理にも美しいとはいえない。何となく濁っている。爽やかさが少しもなく、むしろ不健康を印象する色である。秋らしい澄んだ気持ちは少しも味わうことができない。あとに取り残された常緑樹の緑色は、落葉樹のそれよりは一層陰欝で、何だか緑色という感じをさえ与えないように思われる。ことに驚いたことには、葉の落ちたあとの落葉樹の樹ぶりが、実におもしろくなかった。幹の肌がなんとなく黒ずんでいてきたない。枝ぶりがいやにぶっきら棒である。たまに雪が降ってその枝に積もっても、一向おもしろみがない。結局東京の樹木はだめじゃないか。「森の都」だなどと、嘘をつけ、と言いたくなるほどであった。