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TORENDIA

地異印象記

本文約19,000字 ・ 読了時間 約39分

あらすじ(AIが作成しました)

関東大震災の発生を受け、地震予言への無関心や都市計画の不備を自省する論考。著者自身を含め、災害の可能性を知りつつも日常の安逸を優先した人間の愚かさを説く。震災前後の市民の心理状態や流言の拡散過程を分析し、都市の構造的欠陥と市民の利己主義を指摘する。単なる復旧にとどまらず、社会的な相互扶助の精神に基づいた根本的な社会組織の改善と、将来の危機に向けた正しい認識と実行の必要性を論じる。

和辻哲郎

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(大正十二年九月)

一

大正十二年ごろ関東地方に大地震がある、ということをある権威ある地震学者が予言したと仮定する。その場合今度のような大災害は避けられたであろうか。大本教は二、三年前大地震を予言して幾分我々を不安に陥れたが、地震に対する防備に着手させるだけの力はなかった。しかしそれは大本教が我々を承服せしめるだけの根拠を示さなかったからである。もし学者が在来の大地震の統計や地震帯の研究によって大地震の近いことを説いたならば、人々はあらかじめあの震害と火災とに備えはしなかったであろうか。

自分は思う、人々は恐らくこの予言にも動かされなかったろうと。なぜなら人間は自分の欲せぬことを信じたがらぬものだからである。死は人間の避くべからざる運命だと承知しながらも我々の多くは死が自分に縁遠いものであるかのような気持ちで日々の生を送り、ある日死に面して愕然と驚くまでは死に備えるということをしない。それと同じように、百年に一度というふうな異変に対しては、人々はできるだけそれを考えまいとする態度をとる。在来の地震から帰納せられた学説は、この種の信じたがらぬものを信じさせるほどの力は持たない。結局学者の予言も大本教の予言と同様に取り扱われたであろう。

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