内気な娘とお転婆娘
本文約7,000字 ・ 読了時間 約14分
あらすじ(AIが作成しました)
女性はしとやかであるべきという旧来の価値観に対し、著者は疑問を呈する。電車内での不当な行為への毅然とした対処や、夜道を歩いた際の見知らぬ男への勇気ある行動を例に挙げ、内気で従順な態度はかえって危険を招くと論じる。一方、活発な女性を過小評価する風潮を批判し、自らの意思で判断し行動できる女性こそが、現代社会において真に自立し、不当な誘惑や支配から身を守るために必要であると主張する。
💰 この本を応援する(投げ銭)
『女はしとやかでなくてはいけない、をとなしくなくてはいけない』と云ふ訓しへは甚だ結構な事です。一時『新らしい女』と云ふものが盛んにはやつた時には、大変なお転婆がいろんな奇抜な真似をして人目をおどろかしました。しかし、どんな勝手な真似をしても気持の上に、或るデリカシイを持つてゐなければならないと云ふ事は、其の当時そのお転婆の一人であつた私すら痛切に感じた程でした。私達は『新らしい女』の本家本元のやうに云はれてゐましたけれど、其の頃世間に輩出した所謂新らしい女の思ひ切つた行為には驚異の眼を見はつたものです。それは本当に馬鹿々々しい、苦々しい事を沢山見せられたり聞かせられたりしました。そして、さう云ふ人達の行為が皆んな私達のした事として、見当違ひな非難攻撃を皆んな受けなければならなかつたと云ふやうな苦い経験は、いよ/\私達に、エセ新らしがり屋を浅間しがらせたのです。
あの当時問題になつた吉原行きとか五色の酒とか云ふ事を、まるで私達のすべてゞあるかのやうに云ひなした世間の馬鹿共よりは、それをまた麗々と真似をする連中に至つてはお話にもなんにもなりません。何の考へもないたゞの模倣と云ふことが、それ程馬鹿らしく見えた事はありません。
処がまた私は、本場の女性のデリカシイと云ふ事が其の意味を取りちがへられて、無暗と恥かしがりの模倣をする事が、旧い考へで奨励されてゐるのをも同様に馬鹿々々しいと思はずにはゐられません。