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この物語はフィクションです。登場する人物、団地、町は、すべて作者がつくったものです。
一 しょっぱい味噌汁
味噌汁が、しょっぱすぎる。
その場にいた全員が、同時に、そう思った。
けれど、だれも、口に出さなかった。
団地の台所に、四つのお椀が、ならんでいた。
白い湯気が、ふわふわと立っている。
その湯気の向こうで、おおたさんは、胸をはっていた。
生まれてはじめてつくった味噌汁を、得意そうに見つめている。
ゆうたは、お椀を口もとに運んだ。
一口、ずずっと、すすった。
そして、目をぎゅっと、つぶった。
まりこは、お椀を両手で持ったまま、固まっていた。
口をつける前に、何かを察したのかもしれない。
いや、たぶん、においで、わかったのだ。
ふじさんは、にこにこしていた。
いつもの、おだやかな顔だった。
その笑顔の奥で、何を考えているのか、だれにもわからなかった。
「どうですか」
おおたさんが、聞いた。
声が、少しだけ、うわずっている。
「うまくできたと、思うんですが」
台所が、しんとなった。
換気扇の音だけが、ぶーん、と鳴っている。
鍋の中で、ほんの少し残った味噌汁が、ことことと小さな音を立てた。
だれが、最初に、言うのだろう。
四人は、お椀の湯気をはさんで、目を合わせないようにしていた。
それが、団地の台所の、はじめての夜だった。
二 団地の共用台所
話は、二時間ほど前に、さかのぼる。
その団地には、一階に、小さな集会所がある。
その奥に、共用の台所が、ひとつあった。
ガスコンロが三つ。
大きな作業台。
古い食器棚。
長いこと、あまり使われていなかった台所だ。
その台所の入口に、ある日、一枚の紙が貼られた。
「みんなで一汁三菜の会 月に一度、集まって、いっしょにごはんをつくります」
いちじゅう さんさい、と読む。
ご飯と汁物に、おかずを三つ、合わせた形のことだ。
紙の下には、世話人の名前が、小さく書いてあった。
「ふじ」
ふじさんは、七十代の女性だ。
この団地に、四十年近く住んでいる。
背は小さくて、髪は白くて、いつも割烹着を着ている。
話し方がゆっくりで、声があたたかい。
団地の人たちは、みんな、ふじさんのことを知っていた。