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この物語はフィクションです。登場する人物と山は、すべて作者がつくったものです。
一 道が消えた
地図の上では、道は、ここで右に曲がっているはずだった。
けれど、目の前には、道がない。
さっきまで、たしかにあった、ふみあと。
それが、落ち葉の下に、すっと消えている。
沙耶は、足を止めた。
息が、白くなる。
もう一度、地図をひらく。
紙の地図だ。
指で、いまいる場所をさがす。
さがす。
さがす。
見つからない。
ポケットから、携帯電話を取り出した。
画面を見る。
圏外、と出ている。
何度、見なおしても、同じだった。
空を見あげる。
木の枝のあいだに、うす橙の色が、にじんでいる。
思ったより、ずっと早い。
秋の日は、つるべ落とし、というけれど。
それにしても、早すぎる。
いや、ちがう。
自分が、思っていたより、ずっと時間を使っていたのだ。
「落ち着いて」
沙耶は、声に出して言った。
自分の声が、ひどく小さく聞こえた。
森は、しんとしている。
鳥の声も、風の音もない。
ただ、遠くで、かすかに、水の流れる音がする。
沙耶は、四十三歳になる。
会社で、経理の仕事をしている。
数字を合わせるのは、得意だ。
決めたことを、最後までやりとげるのも、得意だ。
けれど、いま、目の前の山は、数字では合わせられなかった。
どこで、まちがえたのだろう。
胸の奥が、ひやりとする。
いや、考えるのは、あとだ。
いま、いちばん大事なのは、慌てないこと。
そう、自分に言いきかせる。
風が、ざあっと、木の枝の先をゆらした。
落ち葉が、足もとで、かさかさと鳴った。
その音が、やけに大きくひびいた。
沙耶は、ゆっくりと、息をはいた。
それから、いま来た道を、ふり返った。
そこにも、道は、なかった。
二 朝の登山口
話は、朝にさかのぼる。
その朝、沙耶は、台所で、お弁当を作っていた。
卵焼きと、おにぎりが二つ。
それから、小さなりんごを、ひとつ。
窓の外は、うっすらと明るい。
秋の山を歩くには、いい天気になりそうだった。
「お母さん、また、山に行くの」
娘ののあが、パジャマ姿で、台所の入口に立っていた。
中学二年生。
目をこすりながら、こちらを見ている。
「うん。今日は、はじめての道を歩くの」
「はじめてなの」