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TORENDIA

入浴

本文約2,300字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

銭湯という公共の場での入浴を楽しみながら、戦後の日本社会で変化しつつある清潔さやエチケットに関する習慣を綴る。著者は、銭湯で鼻をかむ行為や路上での痰吐きといった近年の振る舞いについて、かつて習得した西洋的な礼儀作法が失われつつあると感じ、その背後にある敗戦国の投げやりな空気や時代の荒々しさに思いを巡らせる。厳しい時代であっても、平和な日常の中で体を清潔に保ち、豊かな心で生きることの尊さを静かに説く随筆である。

片山廣子

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🎧 入浴 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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入浴は、コーヒーを飲み甘い物をたべるのと同じやうに私たちにはたのしいリクリエーシヨンで、同時にどうしてもはぶくことの出来ない清潔法である。戦争で国も家々もだんだん貧乏して来た時に、たき物の都合から私はやうやく思ひきつて街の湯に出かけることにした。その銭湯は家の門を出て西の方角に行き垣根に添つて東南に行くと、すぐであつた。さういふと遠いやうでも、じつは私の家の隣りだつた。この隣りのお湯で私は銭湯の味を覚え、それからもう九年になる。自分の家の湯には数へるほどしかはいらないで満足してゐる。疎開のつもりで越して来たこの農村にも、いつの間にか銭湯が出来て、もらひ湯といふのは流行らなくなつた。

いま私が行くのはE町のお湯である。水道が来てゐるから東京のまん中とすこしも変らない。清潔な湯や水で顔を洗つてゐる時、ながい年月のいろいろな不便やともしさを考へ出して私は今とても嬉しくなる。大森のお湯では空襲警報がきこえて沢山の裸体がうようよごたごたしたことも思ひ出される。わが国日本に平和が続いて、ゆつくりと湯の中に体をしづめてゐたいと、私はいつもお湯の中で祈る。

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