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TORENDIA

「矜り」と「嗜み」

本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

国民錬成という概念を通じ、時局下における日本人のあるべき精神的・肉体的あり方を論じる。著者は、錬成が単なる形式的な鍛錬に終始することへの危惧を示し、指導者と受錬者が共通の理想を抱くことの重要性を説く。さらに、日本人としての矜りを持ち、苦しみと好みを融合させた道に精進する「嗜み」を身につけることが、品位ある国民を形成し、社会全体の飛躍につながると主張する。

岸田國士

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問題はいはゆる国民錬成の効果についてといふのであるが、私はこの錬成といふ意味を、特定の団体なり機関なりが、その企画として一定数の人員を集め、ある方式によつて一定期間錬成を施すといふ、そのことだけに限らず、時局そのものの必然的な圧力が、むしろ一種の指導的、推進的な作用となつて、国民全体の自覚と発奮を促し、そこに期せずして「錬成」の実を挙げてゐるといふ、そのことをも含めて考へてみたいのである。

錬成には、もとより精神的な面と、肉体的な面とがあり、この両者は、日本的な「行」といふやうな型で統一されねばならぬことは、すでに早くから気づかれてゐるが、一般に、その趣旨が、どの程度まで徹底してゐるか多少疑問である。

つまり、指導者と錬成を受けるものとの間に、果して共通の希望と確信とができてゐるかどうかといふことである。私の知つてゐる範囲では、どこでも、それが多少有耶無耶に終り、たゞ、なにか効果がありさうだといふぐらゐのところで、双方満足してゐるやうなのが多い。

それは錬成そのものの「方法」にあまり気をとられすぎて、なんのために、如何なる理想を目指して、それが行はれるのかといふ根本の問題を考へ、それを徹底させてゐるところがわりにないからである。

そこへ行くと、青少年、殊に学生生徒の近頃の変り方は相当に眼に立つて来た。時に中等学校の生徒は、例外もあるが、なかなか、しつかりして来たやうである。しかも、形の上のことだけれども、なにか彼等のうちに新しい光明が湧いて来たのではないかと思はせるやうな風貌に、ちよいちよい街で出会ふ。頼もしい限りである。

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